Twitterの魅力 − さえずり人たち
2010-03-03


Twitter、日本語にすると「さえずり人」にはまっている。メールとも違う。あえていえば、例えばテレビでたまに流れるニュース速報などのテロップに双方向性が加わったもの、読み手からのアクセスを可能にしたものと言えるだろうか。

Twitterの使い方など(Twinavi)
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携帯からもほぼリアルタイムで「さえずり」にアクセスでき、速報性は高い。実際、俺は津波の日は、自宅近くで津波警報の放送を聞き、車で外出、携帯で原口総務相の「さえずり」で状況を知った。そして、どんな情報も最終的な行動の判断は自分。

Twitterは1回の「さえずり」が140文字という制限があるが、何回でも「さえずる」ことができる。携帯からでもパソコンからでも使える。アカウント(口座)さえとれば誰もが使えるから、普通なら、手に入らないような情報を目にすることができる。例えば恐らくは大手マスコミの壁に阻まれて、表に出てくることがなかった情報まで出てきている。「どうせ」なんて諦めていたらしい人も、Twitterで「さえずり」始めている。

俺が最初に驚いたのは、朝のフジテレビの番組に出られていた岩上安身さんの「さえずり」。前にテレビに出られてていて、あまり強い印象はなかったのだが、岩上さんの「さえずり」の内容はスゴイ。途中で「記者クラブ」に対する怒りまで感じられる。いやはや、岩上さんの事前承諾で、少し「さえずり」を紹介させてもらおう。Twitter上では、こんなことがやりとりされている。岩上さんの見知らぬ人、あるいは知人とこれが全世界でやりとりされ、フォローしてさえいれば、誰もが見ることができるのだ(もちろん日本語が必要だが...)。

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iwakamiyasumi
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今日、取材の合間に、大阪の芦原橋にある、りばてぃ大阪・大阪人権博物館を見学してきた。名前を聞いてはいても、足を運んだのは初めて。さまざまな差別と人権問題についての展示がなされている。何事もそうだが、実際に足を運んで、自分の目と耳で確認しないと腑に落ちないものだ。

posted at 03:04:16

続き。既存の政治的枠組みに、全面的に組み込まれるのを潔しとしない人々に対して、ノンポリとか、無党派といった、侮りの念を込めた呼称で呼ぶのは間違っていると、昔から思ってきた。皆が皆、無関心なのではない。各論レベルで冷静に話し合えないため、やむなく口を閉ざしてきた人も少なくない。

posted at 03:17:47

続き。たぶん、多くの人が、私と似たような感想を抱くことだと思う。ここの展示すべてに賛同できるという人も多くはないし、逆に全てを否定するという人も少ないだろう。部分的な違和感や考えの違いのはずなのだ。ところが、それを話し出すと右からも左からも、性急な詰問と非難が飛んでくる。

posted at 03:23:37

続き。同和、在日、アイヌ…。差別の対象とされてきた様々な人々。展示を見ながら、差別反対・人権尊重という原則・総論については、もちろん同意するのだけれども、各論に入ると、この展示の主張の通りに何もかも従うわけにはいかないなとも思う。ところどころ、異論を唱えたくなる箇所があるのだ。

posted at 03:29:58

続き。冷静に議論を進めるより、「右か左か、どちらの陣営に属するのか」といった踏み絵を踏まされるような事態にも出くわす。それが煩わしくて、沈黙を決め込む。態度を明らかにせず、差別や人権問題という政治的にデリケートな問題には係わらないでおこうとする。こうした身の処し方も珍しくはない。

posted at 03:49:07

続き。右や左に、たやすく態度決定できず、ぐずぐずと悩んでいるけれど、真剣に、誠実に考え続けているような人が、脅えずに情報や意見をかわしてゆく場があればいいのに、と思う。答えは二つに一つではないはず、なのだ。

posted at 04:05:12


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